大河の石

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千羽鶴
先日知人から聞いた話。
関学の学生が数年前に広島の平和記念公園の千羽鶴を燃やした事件の後に、関学の卒業生の子とその話をしていたらその子が「なぜ燃やしてはいけないのか」というようなことを言ったらしい。
前後の話の内容は分からないし、その子が言ったことを知人が正確に記憶しているとも思えないので、そのまんまの意味での発言とは思えないのだが、普通の人であれば特に考えもせずに「悪い事」と判断するところになぜその子が疑問を持ったのかが非常に気になる。
疑問を持つ要素としては、千羽鶴という特定の対象が燃やされたことが、何故大きな問題となるのか、と言うことぐらいだと思う。
普通そこらへんで延焼の恐れがない状態で紙を燃やしたところで多少注意される程度である。
では何故燃やされた対象が平和記念公園の千羽鶴というものになると問題になるのかだが、この場合その千羽鶴が平和に対する祈りの象徴として置かれていたからである。
日本人の行う祈りというものは苦行を伴うことがよくある、お百度参りや願掛けなどがいい例だろう。
進んで自らに苦しみを与えることで、等価交換的に自分の望みをかなえてもらう、自分を犠牲にしてこんだけやったんだからと神にアピールするというところか。
千羽鶴も千羽もの鶴を折るということが一つの苦行であり、それを複数の人間で分担したところで複数の人間の祈りということになる。
複数の人間(この場合多数と言ったほうが良いか)の平和に対する祈りの象徴を、燃やすという行為でその祈願ごと無に帰した、それゆえに問題である、と考えることは出来るのだが、こんなことを考えてもその子が何に疑問を持ったのかは分からない。
今度会った時に聞いてもいいのだが、なんだか聞きにくいしな・・・。
| 日常 | 23:52 | トラックバック:0コメント:0
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